私は中学生のころ、とあるスポーツで県大会優勝など好成績を収め、県外の高校からスポーツ推薦をいただいて、高校では寮生活を送っていました。
寮の構造は2階建てで、ひとつ屋根の下に六畳一間ほどの部屋が10~15室。共同の風呂場が2つ、トイレが4つ。昔は入居者も多かったため、二人一部屋ということもあったそうですが、私のときには一人一部屋だったのが唯一の救いでした。
そんな寮生活は、決して華々しいものではありませんでした。特に1年生のときの寮生活は地獄以外のなにものでもありません。
今でこそテレビではスポーツの暴力問題などが取りざたされていますが、私が高校生の頃はまだ関心は高くありませんでした。
今回は、県外のスポーツ強豪高校に進学した私の実体験を基にした寮生活をご紹介します。
子どもを県外の高校へ進学させるべきか悩んでいる保護者の方や、自身の高校時代と見比べてみたいという方など、ぜひ読んでいただけたらと思います。
寮生活の基本ルール
まずは基本ルールから説明します。
消灯時間
消灯は午後10時。これ以降1年生が起きていた場合は、先輩のお叱りの対象です。寮の部屋は小窓がついているタイプなので、中の明かりは漏れるようになっています。隠すことはできませんし、バレたときの代償が大きすぎます。
点呼
点呼は午後8時40分。この時間に寮の1階玄関前ロビーに1~3年生約10名が集まります。全員集まったことを確認したら、寮長と呼ばれる代表生徒が監督に電話をかけます。全員集まっているかを確認するだけなので、特に何もなければこれで終わりですが、ごくたまに先生が顔を出すこともあるので、少し遅れてもとか、いないことにして、とかは通用しません。
階級制度
1年生は奴隷、2年生は人間、3年生は神様という階級が定められていました。1年生は3年生に絶対に話しかけてはいけないし、2年生にも極力話しかけないように努力しなくてはいけません。3年生に話しかけられた場合には、必要最低限の応答はできますが、聞かれたこと以上の会話は許されませんでした。
先輩の部屋の尋ね方
先輩の部屋を訪ねるときには以下の一連の動作が必要です。
扉を2回ノック→「入ってもよろしいでしょうか?」→先輩の返事を確認して→「失礼します」→扉を開ける→要件を述べる
といった具合です。ちなみに、扉を2回ノック→「入ってもよろしいでしょうか?」を3セットやって先輩から返事がない場合は、扉を開けていいというルールもあります。
では、次から本題に入ります。
ひたすら耐え忍ぶ1年間
洗濯
寮には洗濯機が3台ありますが、基本的には2年生と3年生が使います。使っていないタイミングを見計らって一年生は洗濯する必要があります。
空いていてもすぐに使っていいという訳ではなく、先輩が使う可能性もあるので、先輩全員に洗濯機を使ってもいいか確認しなくてはいけません。その際には、『先輩の部屋の尋ね方』通りに、先輩の部屋を訪ねてひとりひとり確認しなければいけません。
また、洗濯機を使用できるとしても、ひとりひとり悠長に洗える時間など無いので、一年生はみんなの分をまとめて一台で洗濯します。そして入りきらなければ次の機会まで待たなければいけません。
最悪の場合は手洗いをして生乾きで部活なんてことも多々ありました。
お風呂
お風呂ももちろん1年生は一番最後です。先輩方の部活動で汗をかいた身体がしっかりと浸かった浴槽なので、もはや1年生が入るころには泥水です。
そして、22時の消灯までに全員がお風呂に入ったうえで部屋に戻っていなくてはいけません。消灯が遅くなれば先輩からお叱りをいただきます。部活が遅くまでかかった場合は、3分もあればいい方でした。
突如訪れる恐怖の時間
寮生活や部活動で失敗したり、先輩のかんにさわる出来事が起こると、お叱りをいただくこととなります。これは通称『ミーティング』と呼ばれていました。
ミーティングは2年生から1年生に対して行われます。3年生から直接1年生が怒られることはありません。3年生のかんにさわる出来事があった場合は、3年生から2年生がお叱りを受け、それが1年生に降りてきます。
ミーティングは1年生の誰かの部屋でランダムに行われます。失敗した一人が叱られるのではなく、連帯責任で1年生全員がお叱りを受けることとなります。ミーティングは1年生は全員正座。3時間以上掛かることもありましたが、足を崩すことは絶対に許されませんでした。
エアコンもない寮だったので、夏場の蒸し暑い部屋に長時間正座させられお叱りを受けるのは苦痛しかありません。今ではいい思い出ですが、当時は『ミーティング』という言葉に毎日を怯えて過ごしていました。よく耐えられたと自分を褒めてやりたいです。
身なりの制限
周りの目が気になりだす高校生にとって、この身なりの制限はある意味で一番つらかったかもしれません。
まず、部活のない日でもスポーツの服を着用。要するに、どこか外出の際にも私服を着ることは許されませんでした。
また、眉毛を剃ることは許されません。薄くすることも抜くことも整えることもできません。ただ伸ばすだけ。1年生で地元に帰省したときには、恥ずかしすぎて極力誰とも会わないようにしていました。
髪の毛も、襟足は制服の襟に掛かってはいけない。耳に掛かってはいけない。前髪は眉毛に掛かってはいけないなど、細かい制限がたくさんありました。それでも坊主が強制ではなかったことだけが唯一の救いでした。
先輩のマッサージ
部活動が奇跡的にオフの日や就寝前など、先輩からマッサージを頼まれることがありました。もちろん断ることなどできません。
それこそ夏場のピークに暑い午後の時間帯に先輩からマッサージを頼まれることもありました。2階の部屋で何もしなくても汗が噴き出るくらい暑いのに、唯一の冷房である扇風機は首振り機能を遮断され先輩にしか風が当たらない状態。それでも嫌な顔ひとつしたら何が起きるか分からない恐怖から、私は全力でマッサージをしていました。
腰のあたりを揉んでいるときに爆音のオナラをされたときは、さすがにブチ切れそうになりましたが、生きるためになんとかこらえたこともありました。今ではいい笑い話です。
まとめ
いかがでしたか?
スポーツ強豪校出身の方にはあるあるかもしれませんし、むしろまだ優しいほうかもしれません。
しかし、当時の自分にとっては本当に地獄だったし、何度実家に帰ろうかと悩んだ日もありました。
それでも今の自分があるのは、当時のあの経験があったからです。職場で嫌な上司がいて、嫌なことがあっても、そう簡単にくじけることはありません。
あの高校生活を耐えられた自分は、大人になってあれ以上のことはないと思えるからです。
今思い返せばなんであんなルールがあったのか、よくあんなルールを守っていたか良く分かりませんが、こうして笑い話にしている自分があるのも事実です
子どもを県外の高校へ送り出し寮生活させるか検討している保護者の方、はたまた自身もスポーツ強豪校の出身で自分の高校時代と見比べている方などいるかと思います。
どんな目的であれ、この記事を読んでくださった皆さんにとって少しでも何かの参考としていただけたら嬉しいです。
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