子どもを県外の高校へ進学させるべきか悩んでいる親へ

高校生活
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子どもの中学校卒業も近づき、進学先を悩む親は多いと思います。

特にスポーツで好成績を残し、推薦をもらっている、または、名のある監督の下でプレイしたいと思っている子どもを持つ親は、県外の高校への進学も選択肢に入っているのではないでしょうか。

今回は、私の実体験を基に、県外の高校へ進学して気づいたこと、学んだことなどを書きたいと思います。

子どもを県外の高校へ進学させるべきか悩んでいる親へ、少しでも参考としていただけたら嬉しいです。

私が県外の高校へ進学することを決意した理由

私は小学校から始めたとあるスポーツで、中学生のときに県大会優勝などの好成績を残していました。

中学3年生の最後の大会を終え、どこの高校へ進学しようか悩みながらも練習に打ち込んでいた矢先、某県外高校から推薦の声が掛かりました。

当時やる気に満ちあふれていた私は

・強豪校で自分がどの程度通用するのか試してみたい

・県内ではあまり敵がいないから外の世界を知りたい

という気持ちから、県外の高校への進学を決意しました。

県外の高校へ進学することを決意した私に対する親の反応

私の家庭は決して裕福ではありませんでしたが、父は「お前の行きたいところに行きなさい」と後押ししてくれました。一方母は「高校から親元を離れるのは不安」と否定的な意見でした。

当時中学生であった私は知る由もありませんでしたが、推薦をもらった高校は「私立」だったことから、母は金銭的な不安も大きかったのだそうです。

最終的には父の説得により母が渋々納得をする形で、私は県外の高校への進学が決定しました。

思い出に溢れた高校生活

親元を離れて過ごした高校生活は、毎日が新鮮で、今振り返ってもいい思い出です。

親元を離れて寮生活

私の実家から県外の高校までは、高速道路を使って片道3時間ほど。

高校生活は、完全な一人暮らしというわけではなく、似たような境遇の生徒が集まって、ひとつ屋根の下で寮生活を送っていました。(1~3年生まで10名ほど)

寮から学校までは自転車で5分程。

ご飯は学校の敷地内にある食堂で、おばちゃんが朝晩を用意してくれました。毎日栄養を考慮した食事を摂ることができていたので、感謝です。

ご飯が物足りない場合には近くのスーパーでカップ麺やお菓子を買って食べていました。

また、時々親から送られてくる仕送りは、お金のない高校生にとって天からの贈り物のように感じていました。

寮生活での仕送りについては別の記事で紹介しています↓

厳しい上下関係により社会を知る

中学生のころは先生以外に敬語を使う習慣はありませんでした。部活動も先輩がいなかったので、敬語を学ぶ機会がほとんどありませんでした。

それが高校に入ると、先輩には必ず敬語を使わなければいけない。さらには寮生活を送るうえで細かくて厳しいルールが盛りだくさんだったことから、上下関係の厳しさはここで叩きこまれました。

寮生活での体験談は別の記事で紹介しています↓

年に2回の帰省が唯一の青春

部活動は雨が降る日以外は練習でした。学校終わりに片道10分ほどの山道を自転車を漕いで練習場へ。練習後は爆速で片づけをして、夜の点呼に間に合うように爆速で帰宅しました。

ちなみに、雨が降っても休みという訳ではなく、寮の大掃除をしたり、近くのジムに行って筋トレをしたり、完全オフの日というのはほとんどありませんでした。

まともな休みと言えたのは、年2回の帰省でした。夏のインターハイが終わったあとのお盆休みと、年末年始。この年2回の帰省と引退後の数か月間が、唯一高校生らしい生活を送っていた瞬間でした。

大会の結果

県内一練習をしていた自信もあったし、誰よりも負けん気が強い自信もあったので、県大会では優勝を重ねインターハイには2年連続出場しました。

また、県代表の国体選手にも選ばれ、本国体にも出場しました。全国大会では入賞まで進むことはできませんでしたが、人生の中であれだけ人から注目を浴びる舞台は、後にも先にもあの時だけです。

今振り返ってみても、親元を離れて県外の学校へ進んで良かった」と思っています。

結局県外の高校に進学して卒業してどう思ったか

卒業してから10年以上経ちますが、寮生活や部活動での楽しかった思い出や辛かった思い出などは、今でも忘れることはありません。

それでも間違いなく言えることは、中学卒業後に親元を離れて過ごした3年間は、私を一人の人間として大きく成長させてくれたということです。

社会人として生半可なことでへこたれないのも、この高校生活が大きく影響していると胸を張って言えます。

また、県外に第2の故郷があるということも、大人になって気づいた大きな財産です。地元はもちろんのこと、離れた場所にいる親友も頼りがいがあっていいものです。

卒業してから知った親の愛

卒業してから知ったことですが、父が私の学費を工面するために、本業とは別にアルバイトをしてくれていました。

深夜3時ごろ家を出て朝8時ごろ帰宅し、そこから本業をするという生活を送ってくれていました。

お金が無いにも関わらず、自分に心配をかけないようにと気を使って、アルバイトのことは言わずに、ただただ背中を押してくれた父のことを私は心の底から尊敬しています。

また、お金が無いことを分かっていながらも、私の気持ちを尊重して、最終的には納得してくれた母のことも尊敬しています。

まとめ

良かったこと、大変だったことなど、色々とお話させていただきましたが、

結局最後に決め手となるのは、親の後押しと本人のやる気だと思っています。

親が県外の高校で頑張ってほしいと願っても、それに応える子どもがやる気でなければ意味がありません。

逆に言えば子どもの方から、「親元を離れてでも県外の高校で頑張るんだ!」という強い意志が確認できたら、信じて背中を押してあげられる親であってほしいと思います。

私は、自分の意見を第一に考えてくれた親の姿に、感謝しかありません。自分の子どもが同じような岐路に立たされたときには、必ず私も子どもの背中を押せる親でありたいと思っています。

この記事が、読んでくださった皆さんにとっての参考となれば嬉しいです。

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